要するに死亡率99%の短篇作品集です。



 人格が多種多様であることを承知した上で、何故これのカテゴライズを試みるのか。
 個人が個人として尊重されるべき世において、その人格が正常か否か判断することは果たして、個人を尊重していると言えるのだろうか。
 例えば、フロイトによる精神分析の根底は性欲とされているけれど、その欲求を持ち合わせていない私を彼はどれにカテゴライズするのだろう。個人が定めた範疇や型に嵌まらない個人は必ず存在するというのに、それ故に“精神異常”の烙印を押されてしまうとは嘆かわしい。
 他人の基準に沿って信条を曲げなければならない世に自由はなく、私という個人と私という人格は世に否定された。確かに、殺人に関心を持ち、殺人に快楽を見出だした私は人道に外れた人間なのだろう。しかし、では、人道とは何か。
 人の道とは実に曖昧である。善悪も同様で、場所によっては本来は悪とされるものが善とされる。貧しき者に盗品を配り歩く義賊や、戦場で敵対する幾人もの生命を奪う兵士などが良い例で、彼等の行いは善とされる。だから私も一応そのセオリーに則って、世間一般に“悪人”とされる人間に限り殺してきた。罪を犯してなお、のうのうと生きている者だけを殺してきたのだ──が。
 社会の害悪を駆除してきた功労者でもある私の腹に包丁を突き刺し、眼前に佇む少女は私を“極悪人”であるとか何とか口悪く罵った。悪を極めた覚えはないのだけれど、どうやら彼女の父親を殺したことの復讐らしい。定職に就かず、ギャンブルに明け暮れ、昼間から酒を煽っては周囲に暴力を振るう。彼女もまたその暴力に晒されていたというのに、「それでも父親には相違ない」と呆れるほどに素敵な愛情を語っている。

 欲を満たすため、憂さを晴らすため。
 理由は違えど、私と少女は世間一般から“殺人犯”という蔑称を与えられ、同類として括られる。しかし、さらに細分化するにあたっては親の仇を討った正常と殺人に快楽を見出だす異常。結果的に世論は少女を善として、私を悪と見做すに違いない。
 果たしてそれは正解か? ──など、訝しむ私はやはり異常なのだろう。何せ人間は人間のカテゴライズに正誤を求めていないのである。
 まったく人格は多種多様で、故に理解し難く、カテゴライズを試みることそれ自体に無理がある。けれども、カテゴライズせずにいられないのが人間で、アベレージから外れたものを良しとしない。世に個性など要らないという本音が私の否定に通ずるのであれば、この結末は至極当然なのだろう。出る杭が打たれてしまうように、私という精神異常者を淘汰する。それが世の常で、平俗で、凡庸で、すなわち普通である。
 つまるところ、私は種々雑多に分類されることを望み、この結末を迎えることもまた望んでいた。可もなく不可もなく生きることが敵わなかったからこそ、誰にも等しく訪れる死を望んでいた。

 だから私はそう、これからは私が私として、自由でいられる世界を彷徨うこととする。


生は誰をも区別するが、
死は誰をも差別しない。


FIN.


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