今日の占いは最下位だった。内容は出歩くと面倒が起こるというもの。
「ねえ、死神さん。訊いてもいい?」
──当たった。
所謂、視える人間。この人種は視えるからこそ逃げたり、あるいは話し掛けてきたりする。
「その鎌で切られたら痛いの?」
「知るか、切られたことねーし」
「こっちは死ぬ準備をしているのよ。貴方には生に対する執着心というものはないの?」
これから死ぬ人間が、死神に何ちゅー質問してんだ。莫迦か。
「性に対する執着心ならある」
「仏頂面で言うことじゃないわね」
ああ、めんどくせー。
定められた死亡時刻より早く狩ることは絶対禁忌。これは偉大な偉大な神様から仰せ付かった慈悲ルール。
何とまあ、お優しいことで。
「二秒に一人が死ぬっつー世界で、生きることに執着して何の意味がある? 人間の生死は、積み重なった偶然の因果によってのみ成立する。登校中の児童に車が突っ込むとか、まさにそうだろ」
「いいえ、それは運命──必然よ。死が定められているなら、生に執着すべきだわ。懸命に生きていれば、主はわかってくださる。その者に非業の死は与えられないわ」
運命は結果論。根拠も糞も無い。
そもそも運命っつーのは、崇拝願望を持った老獪が、人間を説き伏せようと作り出した文句。言うまでも無く、あのジジイに都合良く出来ている。
まあ、何の疑問も持たずに信仰できるんだから、人間はつくづく哀れっつーかおめでたい子羊。要するに、超絶莫迦。
「終着点は同じなのに、生きることに執着してどーする? あと何秒か何十年か、死んでみれば大差ねーよ」
「いいえ、時間にこそ大きな違──」
「ほら、テメェの終着点だ」
事の顛末はこうだ、居眠り運転の車が通り掛かった女性に突っ込む。女性は即死。車はこの先にある電柱との衝突で停車し、其処でようやく運転手が目を覚ます。
そう、すべては積み重なった偶然の因果。
「きゃあああああああっ!!!!」
或る霊能者と死神
そして俺は、獲物を狩った。
FIN.