午後八時四十分。
長い黒髪を垂らす、華奢な女が背後にいた。一見すれば美人だが、どこか寒々とした恐怖を感じさせる女だった。
女は随分前から俺に付き纏っているストーカーで、ポストに入っていたこの手紙はその女が入れたものらしい。証拠として御丁寧に“貴方の後ろより”と書かれている。
私は甲斐性のある女ですから、愛しい貴方の好色に何度も目を瞑ってきました。
私が瞑目しているのをいいことに、昨日もあの女を招き入れていましたね。好色は、魅力的な貴方だから仕方ない不可抗力なのかしら?
貴方をたぶらかす、害虫に等しい女は駆除しなければなりません。けれど──
「お腹の子どもに罪はないわよね?」
手紙を読む速度に合わせたように、冷めた声が鼓膜を震わせた。
俺には妊娠二ヶ月の恋人がいて、悪阻が治まるであろう来月に結婚式を挙げることになっている。大切な恋人にまで危害を加えようとする女に腹が立ち、俺は睨みを利かせて振り返った。
「お前、いい加減に──」
「…………」
真紅を湾曲させて笑う女。
言い様のない寒気が背筋に走り、俺は思わず言葉を詰まらせた。
「思ったの。私がいて、あんな女を孕ませる貴方がいけないんだって」
一瞬の圧迫と体内に異物が入ってくる激痛。
患部に手を添えると、生温い血が手を汚した。
「貴方を愛してる。浮気は許せないけど、貴方を手放したくはないの」
「……勝手に言ってろ、クソ女」
携帯電話は何とか取り出せたけれど、手がぬるついている所為でダイヤルがうまく押せない。たった三つの数字すら押せなくて、もどかしさに腹が立ってくる。
微笑を浮かべる女は、意識が混濁している俺を押し倒すと、躊躇いもなく包丁を抜いた。言葉にならない痛みと吹き出す血が闇に飲まれていく。
「ずっと一緒にいましょうね」
まさか、と思った時にはもう女は自分の腹部に包丁を突き刺していた。その勢いの所為か、患部からごぽっと暗赤色の液体が吐き出される。
俺が意識を手放す寸前、「これって腹上死かしら?」と女が笑った。
ストーカー
背後で微笑 真紅のROUGE
勝手な嫉妬 深紅のBLOOD
FIN.